1970年の半ば私は幸運にもカリフォルニア州オークランドにあるHideo Kamimoto氏の店Kamimoto Stringsに弟子入りし、弦楽器の修理について基礎から学ぶ機会を得ました。その頃、Kamimoto氏は彼の独創性に富んだ著書"Complete Guitar Repair"(完全なギターリペア)を執筆中でした。私はKamimoto氏のもとで7年間にわたりマーティンとギブソンの保証サービースのすべての部類、そして同じくオーケストラで使用されるヴァイオリンなどの弦楽器の修復に取り組んで経験を積みました。私はその時点でドレッドノートギターを2本組み立てていました。はじめギブソンの工場がミシガン州のカラマズーにありました。これがナッシュビルに移転する前に、Kamimoto Strings の従業員として保証サービスの研修に参加できる貴重な機会を得ました。

私は1980年代半ばにギター、弦楽器の世界から離れることに多少の心残りはあったものの最終的に転職し、通信ネットワークを管理するソフトウェアの開発者となりました。いくつかの会社で同じ仕事をして、不況の波風に揺れながら20年以上サバイバルしていましたが、2006年についにリストラにあい解雇されました。それ以来私は再び弦楽器の世界に呼び戻されるように今度は自分の新しいデザインに焦点をあてたギターをつくろうと考えを巡らすようになりました。

私は何年間か弟のパトリック マッカーシーとオーケストラで使用するベースの修理もしていました。パトリックはここ、カリフォルニア州 バークレーで交響楽団の一員としてベースを弾いています。40年以上のキャリアがあります。弦楽器、主にベースの修理の仕事では米国およびヨーロッパ各地にクライアントがいます。私は弦楽器の音、いかに良い音を引き出すか、またどうすれば演奏しやすいかについて、そしてヴァイオリンなどの弦楽器の美学など、多くのことを彼からを学びました。彼は有り難いことに私のギターのデザインと生産にいつも積極的に協力してくれています。

私の一番の関心はジャズプレーヤーのアコースティック アーチトプ ギターです。自身が所有しているアンティークのアーチトップギターを修理して復元しても私は完全に満足できないでいました。そして自分の満足できる目標を考え始めました。ギターをつくるにあたっての私の最終目標は古き良き時代の弦楽器の魅力と、サウンドの良さと、現代の弦楽器の生産技術の向上と、独自の設計アイディアとを融合するそんな弦楽器をつくることだと思いました。私は弦楽器のすべての部分を完全に最適化するために努力し、設計デザインの細かい部分の作業にまで多くの時間を費やしています。必要に応じて、私は自分がつくりあげるアーチトップギターに自分の弦楽器に対する経験とそれで培った洞察力を応用したいと思っています。

私はデザイン設計のためにRhino 3D ソフトウェアー、ツール パス をつくるためにMadCAM plugin ソフトウェアーを使用し そしてTechno LC 4848 CNC routerで設計どおりのデザインにつくっていくのです。機械への大きな投資や、なかなか思うようにいかない曲線の描き方の技術習得など苦労はあっても次第にそれらを克服して楽しくなっている今日この頃です。私は長期的にこの機械技術が伝統的手法だけよりも高い価値のある弦楽器を多くのプレイヤーの手に提供できると確信しています。